パリで暮らしたアパルトマン

パリ15区チブメリー通り4番地。
ル・コルドン・ブルー料理菓子学校へ徒歩4分ほどのこの地に
私は暮らしていました。

パリ15区チブメリー通り4番地のアパルトマン。
最上階の窓辺には空を見上げる私の姿が。

パリのアパルトマン

パトリスのおかげでル・コルドン・ブルー料理菓子学校の
本校で学べるチャンスを得た私には難題が残っていた。
約束の1年という留学期間を過ぎても日本へは戻らず
パリで勉強するということを親に伝え、許してもらうこと。
その頃はメールなんてなかったのでひたすら手紙を書き、最後は電話で説得した。

「私、絶対パリで学ぶ。日本には帰らない!」

母は意外な言葉を私に投げかけた。

「わかったわ。そのかわり必ず身に付けて帰ってきなさい。」

その言葉を聞いた途端、心の糸が解けた思いだった。
留学を延期し料理を学ぶことを応援してくれるなんて全く考えていなかったので
びっくりと同時に親の愛をありがたく感じた。

余裕があって留学させてくれているわけではないのは、この私が重々わかっていた。
それから私は本気で勉強した。

まずはイギリスでちゃんと英語を身につけるためラムズゲイトから
ヘイスティンスにある短大付属の語学学校へ転校。
その学校の先生たちはとても優秀だった。
そこでケンブリッジ1STサティフィケートを受験。
その後、ロンドンへ移り、コルドンブルーのロンドン校に通いつつ
ソーホーで出会った不動産屋さんを営む
ドイツ系イギリス人フランクじいさんのお手伝いもした。
語学学校に居てもネイティヴのイギリス人と話す機会が無いことを実感し、
フランクじいさんの事務所でボランティアを始めたのだ。
これがまたとても親切で暖かい人だった。
私は本当に人に恵まれた。
英仏に暮らした計3年で、私は多くの国々を一人旅し、
旅を通して英語も学んで行った。

ロンドンからパリへ移ってしばらくはフランス語が全然わからず苦労したが、
エペルノン村のポワチエ家に身を寄せ、
しばし一緒に暮らすなかでその辛さや心細さも解けていった。

エペルノン村からパリのアリアンセ・フランセーズ語学学校まで
毎朝列車で通いその生活も慣れて心地よかったが、
そのうち自分でパリに住み家を見つけた。

それがこの15区のアパルトマンだ。
親に無理を言い留学期間を延長しフランスに来たのだから、
できるだけ家賃の安いところをと探し、
アルバイトもいっぱいし親の負担を減らしたい。
そう考えた私は運良くコルドンからもごく近いお手頃な物件に出会った。
ただ、ここはルームシェア、、。しかも相手はフランス人男性。。
大丈夫かな。。。??
一瞬迷ったが、その人(アルノー)に会って人畜無害と察知し、
すぐにここに住むことに決め、エペルノン村から引っ越してきた。
引っ越しはいたってカンタン。
だってその時の私の荷物はスーツケース2つだけだったから。

チブメリーのアパルトマンでの初めの1年は
フランス語習得と旅とバイトに明け暮れた。
人生で一番必死に勉強した時だった。
その甲斐とアルノーのおかげで6ヶ月位でフランス語が話せるようになり、
それからは人生バラ色という感じで一気に楽しくなった。

アルノーは同居人兼番犬であり、いまも家族ぐるみで仲良くしている大事な友。
彼のおかげでパリでの2年間は非常に素晴らしい実り多き日々となった。

フランス人がよく開く「ソワレ」という気楽な集まりで、
アルノーを通して出会ったフランス人の若者は
日本では決して出会わない種類の人々で、とても啓発された。

アルノーは、その後、京都にある大学へ国費留学し、
帰国後パリ大学で助教授になる。
今は生まれ故郷の南仏エクサンプロヴァンスへ移住。大学に勤務し、
奥さんと2人の息子と4人で暮らしている。

会うと、パリ15区のアパルトマンでの出来事を郷愁に似た思いを抱えながら
お互い語り合う。

私がよくアパルトマンの階段から滑って転がってたこと。
(あまりに古くエスカレーターなど当然なく、階段は年季入っていてツルッツルなん。
私はコルドンブルーへの登校がいつもギリギリになってその階段を走り降りていたので勢い良く転んでいた)。

私たちの部屋の隣には一人暮らしの半分ボケたおばあちゃんが、
反対の隣にはモロッコ人家族が住んでいたが、その人達のこと。

カーブ(地下室)が恐ろしく、
一人では降りて行けずアルノーに付き添ってもらって行ってたこと。

アルノーに私がコルドンブルーで作った料理を分けてあげてもあまり喜ばず、
それよりラーメンが大好きで、
オペラ座近くにある「ひぐま」(ラーメン屋)が好きだった。
でも高いからいつもは安いインスタントラーメンをすすっていたこと。

台所もシャワールームも異常に狭くて大変だったこと。

私が重い風邪で寝込んだ時、
フランスの薬を分けてくれ「日本人には強いだろうから半分だけ飲んでみな。」
と言って割って与えてくれたこと。

アルノーの陽気な性格のおかげか、私の脳天気させいか、
ふたりとも超貧乏だったけど、助け合っていつも笑って仲良く暮らしていた。

エペルノン村のパトリスは兄。
フランソワーズは姉。
そしてパリ15区で出会ったこのアルノーは双子の弟って感じ。
あれからかなりの歳月が経った今も
こうして思い出を笑って語り合える友は、大切で貴重な宝。

パリに行くとこのアパルトマンとル・コルドン・ブルーには必ず寄ります。