エペルノン村の家族

パリのモンパルナス駅からシャルトル行の列車に乗り込み
45分ほど揺られると田園風景の中に現れるエペルノン村。

ベルサイユ宮殿やランブイエの森を通り過ぎれば民家もぐっと減り、
なだらかな丘、菜の花畑、雄大な並木道、そして桜そっくりのアーモンドの花が咲き乱れるのどかなペイザージュ(景色)が目立ってきます。

進行方向右手の車窓から大きなのっぺりした教会が見えてくると
エペルノン駅に到着の合図。
この駅で下車する日本人は、いつも私一人。
観光客らしき人は一人もいない。

エペルノン村は私にとって貴重な青春の思い出が詰まった無名の村。
ポワチエ一家の居るこの村は特別な存在なのだ。

イギリスのラムズゲイトで出会ったパトリス・ポワチエ(当時25歳)。
彼の奥さんのフランソワーズ(当時27歳)、
そして一人息子(当時2歳半)のシモンが暮らし、
一時期彼らと一緒に住まわせてもらった村だからです。

大学卒業後すぐにイギリスに暮らした私(当時22歳)。
誰一人知り合いのいないイギリスはラムズゲイトの語学学校で、
偶然出会ったパトリスは、お兄さん的存在となってくれました。

初めて会った日にパトリスは、なぜ私がイギリスにはるばる一人で来たのかを聞いた。

「私ね、本当はパリのル・コルドン・ブルーという料理菓子学校で
フランス料理を勉強したいんだけど、
フランス語ができないから仕方なくそのロンドン校で学ぶの。」

そう答えた私に向かって半分怒ったような口調でパトリスはこう言った。
「フランス料理をイギリスで!?ユミコ、君は間違っている!
フランス料理はフランスで学ぶべきだ。」

「わかってる。でもフランス語を今から話せるようになれるとは思わないし、
親との約束もたった1年で。。」
いくつかの理由を並べ立てる私をさえぎりるように、

「聞いて!僕は来週にはフランスへ帰るから、僕を訪ねておいで。
妻と息子を紹介するから。そしてパリのその学校に行ってみるといいよ」
とパトリス。

その時私の心にぶわっと炎が燃え立ちました。
それから1週間後。
なんお迷いもなく学校を1週間休み、
ホーバークラフトでドーバー海峡を渡り、一路フランスへ!

パトリス一家はその当時エペルノン駅の目の前に建つアパルトマンに
3人で暮らしていた。
パトリスの妻フランソワーズは金髪でブルーの目の美人。
タバコをくゆらせる姿がなんともセクシーだった。
息子のシモンは当時3歳前の赤ちゃんなのに、すごくキリッとした
光り輝くような美男子。
私はフランソワーズとシモンのことがひと目で好きになった。

フランソワーズは心底優しい女性だということを、その仕草、声のトーンから、
私は本能で感じ取った。
(あとからわかったが、彼女は大の料理好き。手早いし味のセンスもよい。
あの時も今も、いつも私に料理を教えてくれている。
私の人生にたくさんの光をくれた大好きなお姉さんだ。)

フランソワーズは英語が全くしゃべれない。
私はフランス語がしゃべれない。
パトリスがいないと私たちはジェスチャーだけで会話をするしかなく、
面倒かけてるな、、と申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
この時のもどかしさのおかげで私のフランス語習得意欲は確実にUPした。

エペルノン村はのんびりした所でほっとする。
週末になると村役場広場には小さなマルシェ(市場)がたち、
フランソワーズに連れられ
一緒に買物へ行ったり、シャルトルの大聖堂へ遊びに行ったりした。

数日後、フランソワーズは私をパリへ連れて行ってくれ、
これが私の人生初のパリとなる。
パリのメトロの匂い、セーヌの流れ、
フランソワーズが私の手を引いてこっちこっち、と
街中を案内してくれたシーンが鮮やかに浮かんでくる。

パトリスは信じられないことに、私の滞在中、コルドンブルーパリ校に電話して
「ここにフランス語が全くしゃべれない日本人がいるんだけど、
どうしてもパリ校でフランス料理を学びたいと言っている。
そちらはフランス語が必須だそうだが、入学を許可してはくれないだろうか?」
と聞いてくれたのだ!

もちろん電話口の人は「無理ね・・」と言っている様子。
それでもパトリスは何度も聞いている。

先方も根負けしたのか、「そんなにやる気があるなら、来てみなさい」と。
そこで私は早速学校へ行き、熱意を伝えた。

すると、「そこまで言うならいらっしゃい。そのかわり授業はフランス語よ。」
との答え。

「え?いま来て良いって言いいましたよね!?
私、絶対パリに引っ越してきて、この学校で学びます!」

もう万歳し両手をあげて喜び、パトリスに感謝した。
エペルノン村にはその後も何度も足を運ぶようになる。

パトリスとフランソワーズはいまもエペルノンに住んでいる。
(駅前のアパルトマンは引き払い近くに家を買った)

シモンは数年前から高校の同級生だったルシルとパリ10区に暮らしていて
去年(2016年)の秋にはパパとなった。
なんだか孫が生まれた感覚?

私は今年(2017年)の6月にシモンの息子イッポリートに会いにパリへ、
そしてもちろんエペルノン村も訪ねる。

私のフランスの家族であるポワチエ家。
彼らに巡り会わなかったら、私のフランス愛はここまで育たなかったと思う。
飾らぬフランス人の日常、食卓、恋愛、喜び、悲しみ。
いろいろな人間模様をこの家族が私に垣間見せてくれ、
「フランス人もおんなじ人間なのね~。」となんとなく理解できるようになり
フランス人が身近に感じられるようになったにだから。

それと、この一家は非常に社交的で、常にホームパーティーをしたり、
人々が家に遊びに来る。そんな時、私はアジア人一人で
いつも宇宙人みたいな存在でそこに居て、
人々と交流する。食卓を囲む彼らの姿を見て、学んだことは多い。
こういう生の体験を沢山さぜてくれたことにも感謝している。

彼らとの思い出がいっぱいのエペルノン村は永遠に私の心の故郷。
今も続くこの変わらぬ縁をありがたく思う。